LOGINある日、勇者として覚醒した青年セリュオスは、各地で仲間を集め魔王エレージアに挑んだ。だが、圧倒的な力の前に彼らは追い詰められ、ついには衝撃の真実を知らされる。 「ーー私の命は過去の文明に七つある。過去の時代に遡って、すべての魔王の命を滅ぼさなければ、現代に生きる私の命が尽きることはない……」 仲間たちが絶望する中、セリュオスだけは一人諦めていなかった。禁忌の魔術《時空追放(テンプス•エクシリウム)》を発動して過去の時代に遡る決断をする。 そこで彼を待っていたのは、かつての歴史にふうじられた全く別の世界だった。勇者と魔王、宿命に導かれた二人の長き戦いの物語がここに始まるーー。
View More戦いが終わった後、静かな夜を過ごしたセリュオスたちは、霧の民の拠点の入り口の門の下に集まっていた。 その時間は思いのほかゆったりと流れ、一行は最後の一人がそこに現れるのを今か今かと待ち続けていた。 不思議な体験の余熱はまだ残っているが、休んでばかりはいられない。 セリュオスたちはこの世界の魔王を倒さなければならないのだ。 そんなセリュオスたちの心を知ってか知らずか、周囲の空気は澄み渡っていた。 なかなか姿を見せない仲間の一人に心をかき乱され、そんなに時間は経っていないはずなのに、数時間も待たされている気分だった。 だが、一行の不安を拭う用に、一定のリズムを刻んだ足音が彼らのもとに近づいてきた。 また一緒に旅立てることを期待しながら、セリュオスたちは彼女を待ち続ける。「レバザの姐御ォ」 最初に沈黙を破ったのは、ガドルだ。 「その恰好、旦那について行くってことで……いいんだよなァ?」 レバザはガドルをチラッと見てから、僅かに口角を上げた。 「ああ、勇者に気づかせてもらったからね。でも、その前に……」 一度息を吸ってから、彼女は口を開いた。「シル=ネムの親玉である魔王ドライシュトラにも、ひと言くらい文句を言ってやらないと、気が済まないだろ?」 すると、ガドルが喉を鳴らしながら、小さく笑った。 「ハハ……本調子に戻ったみてぇで、何よりだァ」 少し後ろで聞いていたエレージアは、視線を逸らしたまま、ほんの一瞬だけ表情を曇らせる。 「……でも、無理はしないで頂戴。あなたが現実に戻って来れたのは、ほとんど奇跡みたいなものなのよ」 「それも、わかってるさね。勇者がいなかったら、今アタイはここにいない。迷惑かけた分、アンタたちの力になるつもりだよ」 レバザはあっさりと答える。「それは心強いな」 セリュオスの言葉に嘘はなかった。 エレージアも納得したように頷き、ついに一行は霧の民の拠点を出発することになった。 シエルハだけは最後まで名残惜しそうにしていたが、まだ若いのだから、今後も訪れる機会はあるだろう。 拠点を離れてから、勇者一行の足取りは自然と揃っていた。 セリュオスを筆頭に、エレージア、ガドル、シエルハ、レバザ、そしてアシリィ。 次に自分たちが向かうべき場所を、全員
シル=ネムが幻霧によって生み出した戦場は、白だけではなく、黒、紫、深緑――様々な色で包まれていた。 それは怒りや恐怖、後悔、誇りといった、シル=ネムのものとは異なる誰かの感情から形成されているようだった。 幾重にも折り重なった感情が霧となり、戦場に渦巻いている。 その中にはきっと、レバザのものも含まれているのだろう。 霧は視界を歪ませ、距離感を狂わせる。 世界の音は反響し、足音すら信用できない。 だが、その中心には一人の揺るがぬ背中があった。「……勇者! そっちは任せたからね!」 レバザがシル=ネムと斬り結ぶ。 その背は、今まで幸福な夢に浸かっていた者とは思えないほど逞しかった。「わかってる! 俺たちが自分自身に負けるわけにはいかない!」 セリュオスたちの目の前にいるのは、確かにこれまで霧の民を導いてきた戦士長のレバザだった。 幾つもの霧が、彼女の周囲で荒れている。 対峙するシル=ネムは巨鎌を作り出し、レバザの斧槍に対応している。 セリュオスにできることは、彼女を信じて自身の幻影に勝つことだけだ。「あっしも、いいとこ見せてやんなきゃなァ!」 ガドルが豪快に笑いながら、自身の幻影を殴り飛ばす。 「ガドル!」 だが、即座にエレージアの鋭い声が飛んだ。「調子に乗るのは止めなさい! 幻に釣られたら、足元を掬われるわよ!」 「へいへい! わかってますよォ!」 注意されながらも、ガドルの陽気さは変わらない。 鋼の拳を構えながら、立ち上がった自身の幻影へと突っ込んでいく。「……偽物の割に、強くないか?」 セリュオスが感じたように、自身の幻影は単なる偽物ではなかった。 武器がぶつかり合うたび、精神に干渉してくるのだ。 体内からこちらを蝕もうとしてくる。「……っ、ちくしょう……!」 最初に止まったのは、ガドルの足だった。 その隙を狙うように、ガドルの幻影が一気に距離を詰める。「だから、調子に乗るなって言ったでしょう!」 間一髪、エレージアがガドルを守っていた。 その後、ガドルはエレージアが生み出した魔力の流れによって、その頭を叩かれていた。「姐さん! 助かったぜェ!」 エレー
夢の世界はいつも同じ光を湛えていた。 霧のない青い色が空を満たし、森は静かに呼吸している。 木々の影が揺れ、風は心地よい温度を保ったまま吹き抜けていく。 だが、そこは変化のない完成された世界。 レバザの背後には、夫のバンダと息子のジグが立っている。 いつも同じ姿で、いつも同じ笑顔で。「レバザ。ここで、一緒に暮らそう。もう戦わなくていい。君だけが苦しまなくていいんだ」 バンダが穏やかに呼びかける。 その声はレバザが戦場で心を擦り切らせていた夜、何度も支えとなった響きではあったが、セリュオスが現れてから疑問は確信に変わった。 レバザが二人から離れようとすると、その手をジグが掴む。 「お母さん、嫌だよ……。離れたくない」 その手には精一杯の力が込められており、レバザを引き止める。 今にも泣き出しそうな表情は何度も見たことがあった。 子どもらしく我儘を言ってくる時と何も違いはなかった。 レバザは無意識のうちに息を詰めていた。 抱き締めれば確かにそこにいると感じられるし、腕の中には温もりがあり、鼓動があり、命の重さもある。 幸福な世界は夢のようでありながらも、本物としか思えないほど精巧だった。 だが、レバザはもう目を逸らすことができなかった。 この世界は動くことはないし、時間が進むこともない。 別れも、成長も、後悔も存在しない。 そして、何よりも。 ここに居続けたら、自分は何者でもなくなってしまうだろう。 役目を持たず、戦わず、選ばず、責任を負わなくていい。 それがどれほど甘い罠だったのか、レバザは気づいてしまったのだ。「……ごめんよ」 なんとか絞り出したレバザの声が震える。 涙を堪えながらも、二人に語りかける。「アタイは……アンタたちと、いつまでも一緒に居たい」 その言葉にバンダの目が見開かれ、ジグの顔がぱっと明るくなった。 その瞬間、セリュオスが一歩踏み出そうとする。「レバザ……!」 だが、レバザはセリュオスを見ることなく、片手を上げて制する。 今はセリュオスの言葉が必要なわけではなかった。 自身の選択、その答えを出すための時間だったのだ。「それでも……それでもね、アタイはもう……ここには、もう戻れない」
霧のない空。 澄み切った青がどこまでも高く広がり、雲は薄く、穏やかに流れていた。 霧による重苦しさは一切なく、胸いっぱいに息を吸い込めば、肺の奥まで幸せが満ちていくような錯覚すら覚えるほどだ。 淡い光に満ちた豊かな森の中で、レバザは立っていた。 その両脇には夫のバンダと、息子のジグがいる。 二人はごく自然に彼女の傍にいて、肩に触れ、手を取り、その多幸感を確かめ合うように笑顔で溢れていた。「お母さん、見て! あっちの木に実がなってるよ!」 ジグの声は弾んでいた。 バンダは息子の元気な姿を見て、優しく微笑む。「ジグ、後で取りに行こうか。お母さんはまだ少し調子が悪いみたいだからね。レバザ、大丈夫かい? しばらくゆっくりして、落ち着いてからでいいからね」 「ああ、わかってるよ」 その温かい言葉に、レバザの胸が静かに満たされる。 家族の笑い声がそよ風に溶け、葉擦れの音と混じり合う。 ここには戦いもないし、恐怖を感じることもない。 失う不安さえ、ここには存在しなかった。 この世界でずっと過ごしていきたい。 そう思いかけた、そのときだった。 ぱちぱちと、拍手の音が森の空気を裂いた。 一度だけでなく、何度も高い音が響く。 祝福するようでいて、どこか距離を測るような奇妙な間合いに、レバザは反射的に身構えた。 警戒しているバンダがジグを後ろに下がらせ、レバザの背後に下がる。「……誰だい」 レバザは重々しい声で問いかけた。 すると、それは木々の影からゆっくりと姿を現した。 霧のような淡い色の外套を纏った何者か。 輪郭は確かにそこにあるはずなのに、焦点を当てようとすると、なぜか曖昧になってしまう。 もちろん、顔立ちも判然としない。 男とも女とも、老いているのか若いのかさえ断定できなかった。 だが、その声だけは異様なほど落ち着いているのがわかる。「――素晴らしい、光景ですねぇ」 感嘆するように、だが感情を乗せすぎることなく、その存在は言った。 レバザは斧槍を構えながら、再び誰何する。「名前も知らないやつと世間話をする気はないよ。こっちはアンタが何者かって聞いてるんだ」 レバザの視線は鋭かった。 すると、外套の
朝日が酒場の窓から差し込み、破損した木の梁や割れた酒樽を黄金色に照らしている。 昨夜の乱闘の跡は生々しく、倒れた椅子や割れた食器が床に散らばり、破片だけでなく酒の匂いも残っていた。 セリュオスは膝をつき、杖のように手をついて床を押さえながら、重い息を吐いた。 「……はぁ、ひどい有様だな」 そう呟くと、隣でダルクも荒い息を整えながら同意する。「まったく、昨日のオレたちは何をやってたんだ……」 「あなたたちが大騒ぎしたせいで、私まで手伝わされてるんだからね!」 フィオラは少し離れた場所で、渋い顔をしてこちらに厳しい視線を向けている
酒場の灯りが暖かく揺れている。 石造りの壁に吊るされたランプの火が、木の長椅子や酒樽を柔らかく照らし、賑やかな笑い声や歌声が響いていた。 酔ったドワーフたちが腕を組んで歌い、卓上では豪快に肉と麦酒が飛び交っている。 その片隅に、セリュオスとフィオラは腰を下ろしていた。 二人の前に並んでいるのは焼いた獣肉の皿と、香草を利かせた野菜の煮込み。 それを前にしながらも、フィオラは落ち着かない表情を浮かべている。「……酒臭い……」 「そうか?」 「匂いだけじゃない。声も、空気からも臭ってくる。酔っぱらいの大声なんて聞いてると、頭が割れ
森の奥は昼にも関わらず暗く、頭上の枝葉が厚く茂っていた。 陽光はほとんど遮られ、差し込むわずかな光の筋が、細かな塵や羽虫を煌かせている。 鳥のさえずりも少なく、代わりに湿った土を踏む二人の足音と、絶え間なく続く口論がやけに響いていた。「だから言ったでしょう! あの川は東に曲がり始めていたって!」 「いいや、あれは確かに北の方向に伸びていたね。太陽の位置を見れば、簡単にわかるだろ」 「あなたの感覚ほど信用ならないものはないわ! 気まぐれな森は私たちを騙すことだってあるのよ!」 二人は言い合いをしながらも、その歩みを止めることはしない。
セリュオスとフィオラは鬱蒼と茂る森の中を進んでいた。 視界は木々の枝葉に覆われ、陽の光はほとんど地に届かない。 落ち葉に埋もれた獣道のような細道を踏みしめるたび、靴底に湿り気がまとわりつく。 そんな心細さを抱えながらも、彼は目の前を歩くエルフの背を見失わぬように注意していた。「……本当に、こっちで合っているんだろうな?」 気まずさを紛らわすように声をかけると、フィオラはぴたりと足を止め、振り返りもせずに言い放った。「文句があるなら一人で歩きなさい。私はあなたを導いているわけじゃない。ただ、私が帰る道を歩いているだけ」 その声音には棘が